2009年7月に公開した「鬼を愛する人」の基となった物語です。
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昔、この町にも鬼を愛する人が居た。
町の人々から疎まれ避けられていた。
とても優しく、とても笑顔が素敵な女性だったと言う。
毎年夏が来る度に祖母はどこか遠くを眺めながら寂しそうに話してくれた。
この町の近くにある山には山賊が居た。祖母は山の方を指差す。
しかしここから山は見えず、変わりに無機質に聳え立つ高層ビル郡が顔を覗かせていた。
町の人々は山賊を嫌っていた。
山賊はどこか遠い異国から連れて来られたのだと祖母は言う。
女性と山賊が出会ったのは当然のように山だった。
昔は隣町に行く唯一の通り道だったのだ。
しかし町の人々は極力その山道を避けた。
それは山賊に襲われたという噂をたくさん聞くからだ。
女性も当然その噂を耳にしたことがある。
食べ物や衣類など様々な物を盗まれたという噂が主だった。
女性は山道を足早に通り過ぎようと思っていた。
周囲を注意深く観察していた。
そのせいか、女性は木の根の盛り上がった部分に足を取られ派手に転んでしまう。
女性は自分の右ひざを摩る。
出血はしていないが酷く強打してしまったようだ。骨が疼くように痛む。
歩くことは愚か、起き上がることさえ困難だった。
しばらくその場に座り込み右ひざを摩り続けていると、背後の茂みが不自然に揺らぐ。
ガサッと不気味な音と共に男が現れた。
女性はその男が直ぐに山賊だと気付いた。
伸ばしっぱなしの髭に、何日も洗っていないであろう荒れた艶の無い髪、
獣の毛皮で作られた衣服。この町にそんな姿をした男は居ない。
女性は恐怖のあまり声も出なかった。
しかし山賊はどこか寂しそうな目をして女性にゆっくりと近づいて来た。
女性は盗まれる物など何も持っていなかった。それなのに山賊が自分に近づいて来る。
山賊は何も言わずに女性を背負った。
女性は覚悟した。自分が盗まれるのだと。
歩き続けてしばらく経つ。しかし山賊は何も言葉を発さない。
女性は次第に落ち着きを取り戻しつつあったが、山賊に掛ける言葉が見つからなかった。
沈黙のまま歩き続けていると、山道から少し離れた木影で誰かの話し声が聞こえて来た。
「大丈夫だって! この服も山賊に奪われたって言えば、みんな納得してくれるって!」
「それもそうだな。それじゃあ、この服は山賊に盗まれたって言って、後で遠い町に売りさばこう」
女性はショックのあまり言葉を失った。
いや、恐怖のあまり言葉を失ったのかもしれない。
それは町の売人が平気で山賊のせいにしている事実、
そんな嘘を何の疑いもせずに信じ切っている町の人々、
そして何より町の人々の中に自分が含まれている事実に。
しかし山賊はそんな売人の言葉を聞いていなかったのか、何事も無かったかのように歩を進め続ける。
不意に女性は山賊の背中から温もりを感じた。
間違いなく人間の温もりだ。
結局最後まで沈黙のまま歩き続けた山賊の足が急に止まった。
そこは山道の出入り口付近だった。
「ありがとう」
女性が山賊に初めて発した言葉だった。
しかし山賊は女性の方を振り向かず、今来た道をそのまま折り返した。
しばらく経ち、山賊の窃盗を重く見た国は、何十人もの大人を山に連れて山賊を捕らえた。
女性は必死で山賊の冤罪を釈明した。しかし町の人々は誰も取り扱ってくれなかった。
しばらくして山賊は打ち首にあったと言う。
そして山賊の冤罪を訴えた女性は、この町で嫌われる存在になった。
私はここで幼過ぎる質問を祖母にした。
「お祖母ちゃんはその女の人が嫌いじゃなかったの?」
祖母は優しい笑顔をして首を横に振った。
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