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ダダタイダダダ その2

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0-9ショートストーリー

第二次世界大戦は多くの人々に暗い影を残した。
また多くの芸術家の運命をも翻弄し、芸術自体の生末も変化しざる得なかった。
戦場となったヨーロッパ全域とは対照的に、無傷のまま戦争を終えたアメリカ本土は
未だかつてないまでの繁栄期を迎えていた。

国民は終戦と勝利を祝い、連日連夜のお祭り騒ぎ。
その名残を残しつつも時代は確実に進み、次の芸術は次第に歪な形へと変化を遂げようとしていた。

ある芸術家が素朴で純粋な思考に到達する。
缶詰めのパッケージデザインも立派な芸術作品だ!
それが後のレディメイドと呼ばれる新たなムーブメントを巻き起こす切欠となった。
それに触発された東の芸術家たちを世間では、ネオダダと呼ばれるようになる。

1958年
12月9日(火)
午前8時43分。
ニューヨーク。

今朝も相変わらずのラッシュアワー。
道端には大量の生活ごみが溢れかえる。
幹線道路はカラフルな車で大渋滞。
悲鳴のようなクラクションの大合唱が街に響き渡る。
そんな殺伐とした街並みが毎日の光景だ。
街の人々は誰も何も気にしない。
もちろん、その中に芸術家を夢を見る若者・ジョンも含まれる。
悪臭が漂う道路も、騒音が鳴り続ける道路も気にしない。
今朝はいつもと異なり薄灰色のスーツを着て、早足にいつも喫茶店へと向かう途中。
昨夜は恋人のヘブンリーとケンカとなり、夜遅くまで口論をした。
今となってはケンカの原因など覚えてない。
或いは、彼女は単にケンカがしたくてケンカしただけなのかもしれない。
そうすることでしか、他人の愛を感じられない感受性に乏しい性格なのだろう。

結局のところ、いつもよりも就寝時間が短くなったせいで、
今朝はいつもより30分ほど寝坊してしまった。
「こんな日に限って」とジョンは大きな白い溜息を作っては天を仰ぐ。
上空は今にも嘆きの白い懺悔を吐き出しそうなコンクリートに似た雲に覆われていた。
ジョンは右手に持った大きな茶色い革鞄を気にしつつ、
腕時計を何度も確認して、いつもより早く過ぎ去る時間とヘブンリーに苛立ちを募らせた。

喫茶店は予想通り混み合っていた。
壁には大統領の写真と様々な過激な新聞記事を貼り合わせたコラージュ作品が飾られている。
またネオダダの作品か。
ジョンはネオダダの活動を心の中で見下していた。
それは自分自身は芸術学校を卒業しながらも芸術では食べて行けず、
今は冴えない食品工場で働いている日々を送っているからだ。
真摯に芸術と向き合うジョンからすればネオダダなど邪道以外の何者でもなかった。

大抵の客は小さなブラウン管に映る経済ニュースを眺めながら朝食を取っていた。
ジョンは店内を見渡し、約束していた名前も知らない謎の男を探す。
すると、奥のカウンター席に座る黒いハットを被った男が大きく手を振っていた。

―― 居た! 何処か裕福そうな雰囲気と服装を纏った品の良さそうな男だ。
「すみません。少し遅れました」
そう言いながらジョンは、人混みの間を縫いながら黒いハットの男の座る席に歩み寄る。
「いえいえ、構いませんよ。それよりも例の作品は?」
白髪交じりのふくよかな男は微笑を漏らしながらジョンに尋ねる。
「はい、これです」とジョンは不安になりつつも、
男に言われた通り茶色い革鞄に入れていた例の作品とやらを取り出した。
「やはり、これは素晴らしい!」
男は少年のように目を輝かせて歓喜を漏らす。
しかし、ジョンは男の歓喜に首を傾げる。
それはジョンが持ってきた作品が、自分が働く工場で製造している缶詰のA4サイズのパッケージ紙だったからだ。
―― こんな物にどんな価値があるというのか?
「ありがとうございます。確かに作品を預かりました。それでは、これがお約束の御礼です」
そう言うと男はテーブルに茶封筒を置くと、足早に混み合う客を縫って店を後にする。
それがジョンが見た男の最後の姿となった…

翌月、新年が開けて早々にジョンはある新聞記事に驚愕させられる。

それはヘブンリーと別れたばかりで少しばかりの傷心と解放された心地良さが入り混じる早朝だった。
レディメイド革命」と大々的な見出しと共に、
ジョンから大金で缶詰のパッケージを買ったふくよかな男の写真が掲載されていた。
記事には、芸術家のニック・フェレイラ氏がヒューストンの美術館で個展を成功させた事を告げていた。
ジャンクアートを芸術の域にまで引き上げた
大衆に対して、より芸術を身近に感じさせることに成功した
など、好意的な記事が並べられていた。
写真の背後には、あの日にジョンから購入した缶詰のパッケージを無数に、
そして規則正しく並べられた作品が展示されていた。

怒りの余りに、ジョンは新聞を持つ手を小刻みに震わせ始める。

新聞はそれ以外の作品も紹介されていた。
写真を無造作に刻むお馴染みとなったコラージュ作品から、
カラフルなブロックで構成されたモザイク作品。
奇抜なアイデアと斬新なアプローチに来客者は一様に驚き、芸術を楽しんだ
という記事で締められていた。

―― やられた!

ジョンは怒りの沸点を超え、遂には持っていた新聞を無心に破り裂いていた。

―― これだから卑怯で能無しなネオダダは嫌いなのだ!

何の努力もせず、何の技術も持たず、何の大義も持たずに、
気紛れで子供が思い付いたような、取って付けたような稚拙な創作物を芸術だと胸を張る。
恥を知らないにも程がある。

怒りが収まらないジョンは自室のイーゼルスタンドに載せていた描き欠けの風景画まで向かう。
そこには自由の女神を真下から描いている油絵が置かれていた。
伝統技術を駆使しつつも新たな試みを必死で追い求めている最中の作品だ。

―― どうして、自分は認められないのだろう?

時代が悪いのか?

技術が足りないのか?

才能が無いのか?

もちろん、明確な答えなど無い。幾ら、悩み考えたところで永遠に出て来ない。
それが芸術という世界において残酷で純粋で絶対的な唯一のルール。
そのルールに照らし合わせると、残念ながらネオダダは間違いなく正解なのだ。
そして芸術界の中での正解とは成功を意味する。

―― キミのダダは世界に必要かい?

何処からともなく、ダダがジョンの心に問い掛けてくる。
それは悪魔の囁きか、或いは神の導きか。

ジョンは無意識のうちにイーゼルスタンドに置いていた自由の女神を灰色に塗り潰していた。
あの日の『嘆きの白い懺悔を吐き出しそうなコンクリートに似た雲』みたいに、、、

ただ塗り潰していた。。。

その3に続く。

 

(MEIKO) ダダタイダダダ (オリジナル楽曲) – YouTube

 


 

ショートストーリーと言いながら長くなって申し訳ございません。

なんとか、次回の『その3』で終わらせる予定なので、ここまで読んで頂けた方は

是非とも、最後まで読んで頂ければ幸いです。

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