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act.9 意外な死因

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昨夜の大雨が嘘だったみたいによく晴れた翌朝。その悪夢のような知らせは何の前触れもなく訪れた。

相変わらず寝起きの片頭痛は続き、日増しに痛みも大きくなっている気がする。近頃は痛みに加えて痒みも出てきた。額を指先で掻き過ぎて横に長い一本の皺が出来ている。一度、病院に行って診て貰った方がいいかもしれない。そんな事を思いながらいつもより少し早く目を覚ましたタイミングでスマホが鳴り響いた。自分のスマホだというのに、何処か他所余所しく冷たく思えた。画面を覗くと佐々木の名前が表示されている。珍しいな。佐々木とは全てメールでやり取りしている。急用か? 不安を過らせながら急いで電話に出る。

「もしもし、佐々木?」

「朝早くにごめんね。佐々木の叔父です。覚えてるかな? 仙台の時に会ったんだけど」と深刻そうな暗い口調で話す男性の声が聞こえてきた。予想外な展開に動揺したが、相手がすぐに名乗ってくれたことですぐに冷静になれた。しかし、冷静になった途端に『どうして佐々木の電話から梅原さんが僕に電話を寄こしてきたのか?』という疑問が芽生える。そんな不安が増幅して、指先の末端が軽く痙攣する。

「はい、覚えてます。梅原さんですよね。何かありましたか?」

そんな僕の問いに梅原さんは何かを堪えるように何度も鼻を啜りながら「優子が亡くなりました」と端的な言葉を発した。

自然と脳裏に浮かんだ昨夜の佐々木が輪郭を失いながら消えて行き、最後には頭の中が空白に支配された。

「嘘でしょ?」

そんな嘘を梅原さんが付いて、誰に何の得があるというのか。

「今、警察の方で死因を調べているんだけど、目立った外傷がないみたいなんだ。念の為、自殺と事故の両面で調査が進むそうなんだ」

警察。死因。自殺と事故の両面。具体的な単語を聞かされるたびに、意識が現実へと引き戻される。もっと現実逃避したいのに。

「優子が最後に会ったのは大塚君で間違いかな?」

そんな梅原さんの問いに昨夜の記憶を繊細に思い出そうとすると、右のこめかみ部分が痛みを訴える。しかし、今はそんな片頭痛に構っていられなかった。

「昨夜の八時頃まで佐々木の家にお邪魔してました。その後に誰とも会っていないのであれば、多分…」

「別に疑っている訳じゃないんだけどね。警察の方が話を聞きたいそうだから、少し時間を貰ってもいいかい?」と梅原さんが申し訳なさそうな声で尋ねていくる。

「はい」

困惑の最中で返事したものの、当然ながら初めての事情聴取だ。しかし、不安は何処にもなかった。それよりも本当に佐々木は死んでしまったのか? そんな疑念が払拭できず、片頭痛と額の痒みが増すばかりだった。いっそのこと頭を爆発させて、一刻も早く楽にしてくれ。と誰に依頼すればいいのだろうか?

 

その日の午後、母と佐々木との思い出に付き添われて岡山南警察署に向かった。

それから僕は参考人という立場で個室に通され、佐々木との関係や昨日の状況、最近の様子などを事細かに尋ねられた。

「ありがとう。大体の事情は分かったよ」と僕を事情聴取していた中年の少し太った警察官がパイプ椅子から立ち上がる。

それを合図に部屋の端にいた書記係の警察官は今まで延々と書き込んでいたノートを閉じる。時間にして三〇分程だった。ドラマで見た光景に似ていたが然程の感動もない。

佐々木の死を知ってから母はずっと赤く腫らした目を白いハンカチで押さえている。この人に涙は似合わない。ただ、その涙を治める術を僕は持ち合わせていない。むしろ、僕も泣きたい。泣きたいのに、涙が出て来なかった。心のどこかで佐々木の死を受け止められていないようだ。その代わりなのか、ずっと頭の中で暴れていた片頭痛が次第に疲れてきたらしく、徐々に痛みが和らいでいた。

「まだ確定事項ではないのですが、おそらく、佐々木さんの死因は感電死と判断されるでしょう」

徐に呟いた警察官の意外な死因に僕は疑問符を浮かべた。

「どういうことですか?」

「遺体が発見された時、佐々木さんはギターを抱えたままの状態だったんですよ。先ほど、君が話してくれた通りなら、きみが帰っても佐々木さんはギターを弾き続けていたのでしょうね。そしてギターに電源を繋げていたコードから感電したのだろうと。昨日はずっと激しい雷雨だったでしょう? 佐々木さんの家に落雷の痕跡も見つかりましてね。恐らくは…」

傷だらけのシールドを思い浮かべた。

「それじゃあ、あの時に僕がギターを止めさせておけば、佐々木は死なずに済んだってことですか?」激しい後悔が強く叱責する。

なんだよ、それ。それじゃあ、僕が佐々木を殺したようなものだろう――血の気が引き全身が震え始める。

「大塚君、それは違うよ。仮にきみが佐々木さんにギターを弾くことを止めさせていたとしても、きみが帰ったあとで再び弾いていた可能性がある。何より家の中に居て落雷で死亡する確率なんて天文学的数字なんだ。これはもう不運以外の何物でもない。だから、あまり自分を責めないことだよ」と警察官が助言してくれたが、僕には受け入れられない言葉だった。

「おじさんはね職業柄、若くして同年代の友人を亡くした子を何人か見てきたよ。みんな今の大塚君のように失望した顔を浮かべていた。そんな子たちに僕はいつも同じ言葉を掛けているんだ。何か分かるかい?」

僕は黙って首を横に振る。

「きみはまだ生きている。生きているってことは、生きなければならないってことなんだ。その意味は分かるかい?」

僕は再び首を横に振る。

「だろうね。今は冷静に考えられないだろう。でもね、生きているってことは、それだけで何かしらの意味を持っているんだ。それは人それぞれで異なるだろう。だから、せめて大塚君が生きている意味を見つけるまでは精いっぱい生きて欲しい」

そんな名言めいた言葉で事情聴取は終わりを迎えた。

生きている意味について考えてみようとしたが、今は何も思い浮かばなかった。そういえば、仙台の海で佐々木が『自分で歌を作りはじめてから抜け殻に意味を持ちはじめた。それが私の生きる意味になってしまった』と言っていたことを思い出す。死んだ佐々木にはしっかりと生きる意味があったのに、生きている僕には生きる意味を見い出せない。何とも皮肉な話だ。僕に対する当てつけか。やり場のない怒りは僕の心を徐々に蝕んでいる。いつになれば治まるのだろうろうか?

ただでさえ痒かった額が余計に疼くものだから、いつも以上に強く指で掻いた。血が出て来ても構わなかった。それですべてが解決するなら安いものだ。

 

母と共に南警察署を後にすると、次に思い浮かべたのは藤田先輩の顔だった。おそらく、まだこの事実を知らないはずだ。早く知らせるべきなのだろうが、僕は藤田先輩の連絡先を知らない。どうやって連絡すればいいものか。それにどんな言葉で伝えればいいものか。途方に暮れながら家に帰宅する。しかし、家に居ても何も解決しない。何より今は動いていないと気が狂いそうだった。

「ちょっと出かけて来る」と帰宅して早々に再び家を出る。しかし行き先は決めていない。ただ無意識レベルで僕の足は勝手に動いていた。行き先は当然のように佐々木の家だった。習慣なのか、或いは何かに導かれているのか。逆らう理由もなく、僕は僕の足に成り行きを任せて歩き続ける。しかし佐々木の家に近づくにつれ、佐々木との思い出が溢れてきた。何度も通った道路では佐々木と交わした何気ない会話たちがそこら中に転がっていた。

『わたしポッキーのイチゴ味しか認めてないから』とか、

『7弦ギターの方が音域広がるのよね』とか、

『たまには手を握って帰らない?』とか、

様々な表情の佐々木を拾い集めてみた。しかし、両手では全て拾え切れない程に溢れていた。悔しさと寂しさで涙まで溢れそうになる。春の心地良い風が僕の髪を揺らしながら、弱った心まで撫でてくれているようだった。

必死で辿り着いた佐々木の家の中には電気が灯っていた。

不思議に思いつつ、玄関の呼び鈴を鳴らすと「はい」と梅原さんが出てきた。仙台で会った以来の再会が、まさかこんな形になるとは思いもしなかった。

「大塚君、どうしたんだい?」と驚く梅原さん。特に理由がないことに気付くと必死になって理由を探す。。。そうだ!

僕は藤田先輩の存在を思い出し「実は、佐々木と仲の良い友人が居まして、その人にも佐々木のことを知らせたいと思ったのですが、僕はその人の連絡先を知らなくて」と説明する。我ながら素晴らしい理由が出てきた。そんな僕の言葉にすべてを察してくれた梅原さんは「これが必要なんだね」と快く佐々木の携帯電話を差し出してくれた。

「ありがとうございます」

僕は佐々木の携帯電話を受け取ると、そのなかから藤田先輩の電話番号を見つける。しかし、いざ電話をかけようとした瞬間に『なんて言えばいいのだろう?』と躊躇して手が止まってしまった。

いきなり『佐々木が死んだ』と言ったら、藤田先輩は絶対に戸惑い落ち込むだろう。それに仕事や生活に支障をきたすに違いない。ひと一人亡くなるということは、生きている人間の人生に悪い影響を与えてしまう。しかし、どんなに言葉を濁して遠回しに言ったところで辿り着く結論は同じだ。ならば、余計な言葉は時間の無駄。これは残された人間の使命だ。仕方がない。

心を決めた僕はありったけの勇気を指先に込めて藤田先輩に電話をかけた。しかし、何度か呼び出した後に留守番電話サービスに切り替わった。思いもしなかった展開に戸惑うが、直接告げるよりも幾分か気は楽だ。

「大塚です。突然で信じられないかもしれないけど、佐々木が亡くなりました。詳しいことは僕の電話までかけてください」と最後に僕の電話番号を教えて電話を切った。

電話を終えたところで「ありがとうございました」と佐々木の携帯電話を梅原さんに返すが、そんな梅原さんは部屋全体を眺めながら長い溜息を付く。部屋は昨夜に佐々木と別れたままで、今も佐々木が奥でギターを弾いているような気がして不思議な感覚に襲われた。

「遺体は警察が預かっているけど、明日にはこの家に戻って来るよ」と言いながら、梅原さんは遺品整理をはじめると言う。

「僕も手伝います」と言って佐々木の家に上がらせて貰い、ソファーに眠るように置かれていた最後まで佐々木が持っていたギターを手に取る。すると、警察の聴取で聞いた傷だらけのシールドが床面に転がっていた。

「このシールド。まだ使っていたのか」と梅原さんは懐かしそうにシールドを手に取る。

「そのシールド、何かあったんですか?」

「あぁ、これは死んだ兄さんの、つまり優子の父が使っていた遺品なんだ」

死んだ父の遺品が死因になるなんて、世界はどれだけ佐々木を虐めれば気が済むのだ。そんなやり場のない怒りを芽生えさせていると梅原さんは思い立ったように「そうだ。大塚君が良ければ、そのギターを貰ってくれないか? このまま残しておくと辛くて処分してしまいそうなんだ」と言いながら梅原さんは僕が持っているギターを指差す。

「僕が貰っていいんですか?」

「是非、受け取って欲しい。多分、優子もその方が喜ぶだろうしね」

「ありがとうございます。大切にします」そう言う頃には僕はギターを抱えたまま泣いていた。

それから梅原さんと二人で佐々木の遺品整理を進めた。台所にはイチゴ味ポッキーがたくさん出てきた。

「優子は昔からこのお菓子が好きだったんだよ」と梅原さんが懐かしそうに微笑み「これも全部持って帰ってよ」と大量のポッキーも貰う事となった。

 

翌日、僕は学校を休み佐々木の家に来ていた。それは予定通り変わり果てた佐々木と対面する為だ。葬儀は親族だけで行われることになっていたが、梅原さんの計らいで僕も参列することを許された。

佐々木の家に上がると一通り遺品整理は終えていて、居間の中央に白い布団が敷かれていた。その上に佐々木の遺体が眠るように置かれていた。

梅原さんの奥さんと思わしき女性が黒い喪服を着て佐々木の横に座って泣いていた。

僕が何も言わず一礼すると「よく来てくれましたね。どうぞ、顔を見てあげてください」と佐々木の顔を覆っていた白い布をそっと上げる。

佐々木との再会に僕は息を呑んだ。一見すると顔色が良く、本当に眠っているようだった。声をかければ今にも起きそうなくらいに綺麗な寝顔だ。同時に、本当に佐々木は死んでしまったのだと徐々に実感が湧きはじめる。つい一昨日まで生きていた身近な人。それも僕が好きだった女性。しかも人生で初めて同年代の死に触れた事で、現実的に生きることの恐ろしさを感じていた。当然ながら人生は有限だ。いつか必ず死が訪れる決まりだ。しかし、あまりにも遠すぎる恐怖の存在が急に目の前に姿を現したものだから動揺している。

無慈悲な世界で、非力な人間の弱さに打ちひしがれて、どんなに足掻いても、どうしようもない運命という残酷な結末に敵わないことを痛感させられている圧倒的な死という存在に、僕はただただ泣きながら悔しがることしかできなかった。もしも、あの夜に無理にでもギターを止めさせておけば、或いは佐々木は死んでいなかったかもしれない。そんな後悔が未だに自分を責め立てる。人目も憚らず、この二日間で泣いた何倍もの涙を佐々木の頬に零して、何の言葉もかけられずむせび泣く。気が付くと喪服姿をした担任の先生と母親が僕の隣に座っていた。まったく気付かない位に僕は夢中で泣いていた。でも、今日くらいはいいじゃないか。気が済むまで泣かせてくれよ。と思ったが、いつまで経っても気が済みそうになかったから、ここで泣き止むことに努めた。

「大塚君、今は辛いかもしれないけど、気を強く持ってね」と先生が声を掛けると、横にいた母親も同意するように何度か頷く。

そのあと、昼前に何処かの寺の住職が訪れると線香やらお供え物やらを捧げながら色々な準備を済ませてお経を唱えはじめる。こんなお経に何の意味があるのだろうか? 佐々木は安らかに眠れるのだろうか? そんな難癖を付けながらも、形式的に目を閉じて手を合わせながら、延々と繰り返されるお経を聞きながら佐々木との思い出を頭で巡らせる。そんな時でさえ、右こめかみ部分の痛みが僕を悩ませる。

正午前に葬儀が済むと住職はそれらしい挨拶もそこそこに早々と帰って行った。それから少し担任の先生と母親が梅原さんと雑談をしていたが、僕は何者にも構うことなく佐々木の傍に居続けた。

「それじゃあ、先に帰るわね」と母が声を掛けてきたが、僕は黙って頷くことしかできない。

「気が済むまで居させて貰いなさい」と言い残して、母は担任の先生と一緒に帰って行く。そのタイミングで「僕も準備があるから家を任せてもいいかな?」と梅原さんが声を掛けてきた。

「はい、僕がずっと居るのでゆっくりしてきてください」と返事すると梅原さんは奥さんと一緒に家を出て行った。これで僕は佐々木と二人きりだ。この場合、二人きりと言っていいのだろうか?

佐々木と出会ってから今までの出来事を何度となく繰り返し思い出す。この台所でたくさんのデモ曲を一緒に作った。奥の部屋でもパソコンに向かい、何度もレコーディングを繰り返して納得できるフレーズを探し続けた。

そんな思い出を巡らせていると、いつの間にか時計が午後八時を廻っていた。何も食べていないはずなのに、まったくお腹が空かなかった。さて、僕はこれから何をすればいいのだろうか? 途方に暮れているとポケットに入れていたスマホが震え出した。取り出して画面を確認すると藤田先輩からだった。

「もしもし、大塚? 本当なの!?」

慌てた様子で話す藤田先輩に僕はどう返事すればいいのか迷ってしまう。どうやら、今になって僕が残した留守番電話を聞いたようだ。しかし、ここで嘘を言っても仕方がない。事実を述べる他に選択肢はないのだ。

「本当ですよ。今は葬儀が済んで通夜を行っている最中です」

「そうなのね。分かったわ」と藤田先輩は一方的に電話を切る。一体、何が分かったのだろうか?

 

その後も僕は佐々木の家に居続けた。結局、梅原さんは子供が熱を出したらしく明日まで来られなくなった。或いは、僕に気を使ってくれているのかもしれない。明日には佐々木の身体は火葬されて今の姿とは永遠に会えなくなってしまう。佐々木の唇の感触、乳房の色、陰毛の形。佐々木の身体を知らないまま永遠にお別れだ。こんな結末になるのなら、仙台の夜、ホテルで佐々木を抱くべきだった。裸になって全てを晒し合い、飽きるまで二人ひとつになって、それから、それから。。。今更になって後悔しても時間は戻ってくれない。

佐々木と出会った当時、よく好きな洋楽について話していた。

佐々木と藤田先輩の秘密を知った時、佐々木の作詞・作曲能力に尊敬しつつも密かに嫉妬していた。

藤田先輩との恋愛ごっこを終えたときに心配してくれた。

佐々木から託されたデモ曲には未だに作詞ができていない。

佐々木と仙台に行き、佐々木の壮絶な過去を知った時、その時に見た海からの夕陽と佐々木の涙に僕は悔しくなった。そして、その時に握った佐々木の手の温もりは今も忘れていない。

インディーズ・デビューして、佐々木が夢に向かい歩き出した時、僕も佐々木と共にこれからもずっと生きていけると信じていた。

何処の思い出を切り取っても、幸せ以外の感情が見つからなかった。

「佐々木、起きてくれよ」と呼びかけても何の返事もない。試しに、佐々木の手を握っても、仙台の海で握った時や、東京から岡山に帰って来る新幹線のなかで握った手とは違い、もうすっかり冷たくなり、作り物のようだった。いつも僕の手と心を温めてくれると信じていたのに、どうしてこんな事になってしまったのだろう。幸せな日々が、もう続かない事実を突き付けられたようで僕も死にたくなった。死んで佐々木のいる世界に行きたい。どんな死に方があるのか? 一番楽で確実に死ねる方法は何だろうか? そんな事ばかり考えていると、トイレに行きたくなってきた。

 

 

洗面台に行き、鏡に映った自分を睨む。すると、鏡の中の自分は笑っていた。

「何がそんなに面白い?」と鏡の中の自分に問い掛ける。

「やっとたどり着いたね」と鏡の中の自分が答える。

「何のことだ?」と問うと、鏡の中の自分が額を指差す。

そこにはここ最近、ずっと僕を悩ませていた片頭痛が具現化したような紫色の心臓みたいな物体が囚われていた。

その物体は額の中心で激しく脈を打ち、次第に大きくなると最後には赤い血飛沫を撒き散らしながら派手に破裂した。そして血まみれになった額の奥から琥珀色に輝く綺麗な瞳が開く。

第三の目だ。

東京に行ったあの日、喫茶店のトイレで話していた、誰だ… そうだ! 東京ダビンチが言っていた第三の目だ。

確か、あの日、僕は大切な何かを東京ダビンチに返したような… そうだ! 骨だ! そんな重要な出来事をどうして今まで忘れていたんだ? そして、どうして、このタイミングで思い出した?

徐々にあの日の記憶が脳内の片隅から蠢くように蘇る。

そうだ。東京ダビンチは言っていた。第三の目を持つ者が並行世界をどうのこうの… 確か、その名前は…

「スターオメガだよ」と鏡の中の自分が答える。

「お前がスターオメガなのか?」

「そうだよ。そして、きみに極楽鳥の骨を託したのも僕さ」と告げて、意味有り気に微笑んだ。

「どうして、そんな真似を?」

「だって、キミには必要だっただろう?」

「僕には扱えない代物だったよ。もう東京ダビンチに返した」

「それは骨を扱えなかった君が返しただけだろ? でも今の君なら扱えるだろ?」

「何故?」

「だってほら、ここに」と鏡の中の自分が再び額の中心に指を差しながら「君も遂に目覚めたのだから」と不敵な笑みを零した。

そんな言葉は信じたくなかったが、恐る恐る自分の額に指先を当てて現在の具合を確かめる。いや、触るまでもなかった。

額の前にあるはずの指先がはっきりと視界に捉えている。第三の目が僕の指を視界に捉えている証拠だ。

「さて、目覚めた今のきみなら骨なんて持たなくても、何だって可能だ」と鏡の中の自分が悪魔のように囁く。

僕は両目を閉じて、第三の目だけでこの世界の片鱗を覗き込む。そこには無数の地球が存在して、無数の僕が存在して、無数の佐々木が存在していた。その中で僕と佐々木が出会う世界はほんの数パーセントしか存在しなく、その中でお互いを意識し合い、恋人のような関係までたどり着いたのは、更に数パーセントしか存在しない。奇跡と言って差し支えない確率だ。

その先にも幾つかの幸せな結末もあり、当然ながら不幸な結末も待ち構えていた。

そんな人生の答案用紙を覗き見てしまった時に、僕は一瞬にして悟りの境地に達してしまった。

――もう生きる意味が無いじゃないか…

 

 

時計を見ると深夜二時を指していた。この時間なら自殺しても誰にも気付かれないか…… そんなことを薄れる意識のなかで考えていると「大塚!」と僕を呼ぶ女性の声が聞こえてきた。慌てて声が聞こえてきた玄関に目をやると、そこには藤田先輩が立っていた。

「先輩! なんで?」

戸惑う僕を余所に藤田先輩は急いで家に上がり、僕の横に座ると今も眠り続ける佐々木と対面する。

「佐々木、本当に死んじゃったのね」と悲しそうに呟くが、既に覚悟を決めていたみたいで、そこに涙はなかった。

「最終の新幹線に乗って帰ってきたのよ。明日の夜には帰らないといけないけどね。それとレコード会社には私から伝えたから」と藤田先輩は冷静に世間と佐々木の死を受け止めているようだった。

しかし、実際に藤田先輩も佐々木の遺体を目の当たりにすると、悲しみと共に佐々木との過去を思い返しているようで、しばらく沈黙のなかで会話するように佐々木をずっと見つめている。

それからしばらく経ち、藤田先輩は何かを思い出すように語りはじめる。

「佐々木のひた向きさに私は惚れてた。片足を失いながらも強く生きる姿勢に心奪われていたわ。それから佐々木の家で初めて佐々木の詩を聴いた時に、震災のことも教えてくれた。今思えば、その時に惹かれたのよね」とようやく藤田先輩の頬を一筋の涙が伝う。

「でも、今になって思えば、その感情は同情に近い哀れみだったのかもしれないわ」

懺悔するように話す藤田先輩の顔色が徐々に悪くなってきた。

「それで大塚、あなたはこれからどうするの?」

突然の質問に僕は考えるよりも先に「死にたいです」無意識に呟いていた。そんな返答を聞いた藤田先輩は少し溜息を漏らす。まるで予め僕の回答を把握していたようだ。そして僕のそっと手を握りながら「私にとってはね、死とは肉体からの解放だと考えているの。だから、肉体は滅びても魂は不滅なのよ。その考えが正しいとか、間違いだとか、そんなことはどうでもいいの。私が疑わずそう信じているの。だから、いつか佐々木と必ず再会できると信じている。だから、そのときに恥ずかしくない自分であるためにこれからも堂々と生きるわ」と強い眼差しで僕に訴えてきた。そのとき、事情聴取を行っていた警察官の『せめて大塚君が生きている意味を見つけるまでは精いっぱい生きて欲しい』という言葉が心に響いた。

「もう一度だけ問うわよ。あなたはこれからどうするの?」と藤田先輩はゆっくりと語尾を強めて問い掛けるが、そんなことを言われても、僕は何がしたいのだろうか?

目を閉じても思い浮かぶ光景は佐々木の顔…… 佐々木の曲……

そのとき、白い輝きの中でひとつの答えに導かれた気がした。

「僕は、佐々木の遺志を継ぎたいです」

そうだ。僕にはまだ佐々木に託されたデモ曲がある。それを完成させるまでは佐々木に会わせる顔が無い。そう思い立った僕は急いで奥の部屋に向かい、佐々木が生前使用していたパソコンの電源を入れた。そしてデモ曲の入ったフォルダを開くと九つのデータがあった。試しに一つ目のファイルを再生すると、しばらくして生前の佐々木が歌う肉声が聴こえてきた。その瞬間、今まで毅然と振る舞っていた藤田先輩が堪え切れずに涙を流して泣きはじめた。

そのデモ曲に歌詞らしい歌詞はなく、ただ「ラララ」だったり、適当な英単語を入れた主に作曲に重きを置いたデモ曲だった。

明日になると佐々木は火葬されて骨になる。でも、このデモ曲は今も生き続けている。いや、これから生まれようと必死で藻搔いている。ならば、残された僕ができることは一つしかない。

もちろん簡単に割り切れる訳がない。日々、日常の間に間に、僕は何度も佐々木を思い出すだろう。その度に悲しくなり時より涙を流す事もあるかもしれない。それでも生きていかないといけない。それが生きている者の義務なのだから――。

 

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