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act.8 最後の姿

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春の風が心地良く心の髪を優しく撫でる四月の初旬。この学校に入って三度目の桜の開花を見守りながら、僕も無事に三年生へと進級した。

最近は朝起きると右のこめかみ部分から額の中心にかけて電気が走るような片頭痛を患っていた。しかし、朝食を食べて顔を洗う頃になると痛みは治まっていた。だから、特に気にする事なく日常生活を送っていた。

当たり前のように佐々木とは再び同じクラスになり、いつものように音楽の話をしていた。

そんな時に担任から「大塚君、ちょっといい?」と教壇まで呼ばれる。「はい」と教室の前に行くと「取り寄せてた物が届いたわ。参考までに読んでみて」と音楽専門学校のパンフレットを渡してくれた。三者面談の際に言っていた件だ。

「ありがとうございます」

「色々と調べてみたけど、やっぱり東京か大阪の方が最新の設備があったり有名な講師が居たりするわね」

「そうみたいですね。やっぱり都会の方がいいみたいです」

「まぁ、オープンキャンパスもしているみたいだし、気になったら直接行って見てみるのもいいかもしれないわ」

「はい、ありがとうございます。また相談させてください」

「もちろんよ。それが先生の仕事だから」と言って先生は満面の笑みで教室を後にする。

そんな会話を遠目で聞いていた佐々木は「大塚、都会に出るの?」と少し不満そうに唇を尖らせながら尋ねてくる。

「まだ決めてないけどね。岡山だと音楽の専門学校がないから」と僕が返すと「それじゃあ、私も都会で暮らそうかな」と佐々木はさり気なく大胆な台詞を吐く。

考えてみれば、佐々木の故郷は仙台だ。今は岡山で暮らしているが高校を卒業したら、岡山に居続ける理由はない。まぁ、叔父さんである梅原さんが岡山に来たことで逆に離れ難くなったかもしれないが。

メジャーデビューして本格的に音楽活動をはじめるとレコード会社が所在する東京都内で生活する方が何かと効率が良さそうだ。そう考えると僕も大阪ではなく、東京の方が佐々木と一緒にいられる時間が長く取れそうだし、選べる専門学校の選択肢も広がる。それに東京には藤田先輩も居る。あわよくば、もう一度、あの頃のように三人で大切な時間を無駄に過ごせるかもしれない。

「そもそも専門学校に行かなくても、私の手伝いをしてくれればいいのに。実践に勝る勉強法はないわよ」と佐々木が無邪気に笑う。それもまた選択肢のひとつだ。「それで人生が安定的に送れることが出来れば素敵なんだけどね」と僕も笑った。「安定なんて詰まらないわ。それに大抵の事は何とでもなるわ。私の人生を見れば分かるでしょ?」と佐々木は自虐的にも小さな胸を張る。

説得力のある佐々木の言葉に少し驚かされた。確かにそうだ。安定の先に見える景色に然程の感動はないだろう。人生の岐路に立つと自然と億劫になり、視野が狭くなってしまう。もっと物事の本質を見抜く力が欲しいものだ。それも佐々木と共に過ごせば養えるのだろうか。

休み時間。桜が舞い散る校庭を眺めながら廊下を通っていると女性生徒が群れて楽しそうに会話している。

「今月の雑誌に載ってた藤田先輩見た?」

「見た見た! やっぱりカッコ良いわよね」

どうやら、藤田先輩に関する会話のようだ。最近ではファッション雑誌に載る頻度が増えているようだ。佐々木もしっかりと毎月チェックしていて、僕に逐一報告してくれる。この春に卒業した先輩たちに変わり、今では下級生たちが藤田先輩の武勇伝を引き継いでいた。容姿について、スタイルについて、ファッションについて。しかし、最終的に盛り上がる話題は決まって音楽動画に関することだ。いつだったか、藤田先輩が所属する事務所のホームページを覗いたことがある。そこで藤田先輩の紹介欄を確認したが音楽動画に関する記載はなかった。つまり、世間に向けて正式には公開していないようだ。或いは、事務所が把握していない可能性もある。

「また先輩の歌を聴きたいわよね」

「不意に新曲とか公開しないのかな?」

事情を知らない女性生徒たちが好き勝手に話して盛り上がっている。廊下中に響く笑い声が幻想的に舞う桜吹雪に溶けては消えて行く。

今後、藤田先輩が口パクで公開した楽曲はどうなるのだろうか?

現在、動画サイトにアクセスすると作品は全て非公開になって聴けなくなっていた。このまま佐々木がメジャーデビューして、過去の曲を何かしらの機会に歌おうとしても藤田先輩が口パクした曲を歌ってしまえば、その瞬間に全ての秘密が発覚してしまう。だからと言って、永遠に封印されるのも寂しい。特に恋愛ごっこは藤田先輩が作詞した佐々木との合作でもある。二人にとって特別な曲であることに違いないだろう。

教室に戻ると佐々木がノートに向かい、難しい顔をしてペンを揺らしていた。

「何を書いてるの?」

「次の歌詞。サビ部分のキャッチャーなフレーズがなかなか出て来なくてね」と唇を尖らせる。

そんな佐々木に対して軽い気持ちで質問してみた。

「今まで公開していた曲はどうするの? 今の状況だと佐々木が歌うって訳にもいかないよね?」

「そうね。こればかりは私たちだけの秘密にするしかないわ」と佐々木は諦めを滲ませた表情を浮かべる。

いつの日か、すべての問題が解決して『恋愛ごっこ』を堂々と佐々木が公の場で歌えるようになることを祈るばかりだ。

もしも、そんな日が訪れたとして、その時の僕は一体、何をしているだろうか? あわよくば今と同じように佐々木と共に音楽に携わっていたいのだけれど――

 

その日は朝から夜みたいに暗く、黒い矢のような大雨が降っていた。その影響なのか、今朝から妙に右のこめかみ辺りがいつも以上に疼いていた。時より黒い雲から黄金の竜が駆け抜けた直後に大きな雷鳴を轟かせ、僕の片頭痛を助長している。それでも耐えられない程ではなかった僕はいつものように学校が終わると、いつものように佐々木と一緒に佐々木の家へ向かい、いつものように佐々木と一緒にデモ曲を作った。

今日は新曲が完成する直前で、あとは間奏のギターソロ部分を収録するだけだった。

完成が楽しみな反面で、少しだけ寂しい気持ちも抱いていた。それはこんな佐々木との時間が、いつの日か無くなってしまう恐怖を思っての事だろう。雷鳴が轟く度に不安と寂しさが増しているようだ。来年の今頃、僕は都会の専門学校に通っているかもしれないし、佐々木だって上京して音楽活動を本格的に開始しているかもしれない。少なくとも今のような生活は送れない。薄々と感じているが、都合の悪いことはいつも後回しにしてしまう。だから余計に後になって辛くなる。今も続く片頭痛が更にネガティブな感情を助長しているのかもしれない。そんな片頭痛は徐々に痛みの範囲を広げ、まるでヤギの頭をした女体の悪魔が信仰儀式を行っているみたいに眼球の奥の方まで鼓動に合わせて痛みを与え続けている。

そんな僕の気持ちと痛みなどお構いなしに、佐々木は今も無邪気に遊ぶ子どものようにギターを弾き続ける。そんな佐々木のギターを弾く姿を眺めていると、時計の針が午後八時を指していた。

「それじゃあ、そろそろ帰るね」と控えめに告げる僕の声は激しく降り続く雨音と激しく鳴り響くギターにかき消され、佐々木の耳には届いていなかった。時より窓から雷が発光するが佐々木は全く気にせず自分の世界に没頭していた。

いつも見慣れた佐々木の姿が再び愛おしく映った。後ろから抱きしめたくなる衝動に駆られたのは仙台に行った日以来か。しかし曲作りの邪魔になるから今は我慢だ。仙台で止まったホテルの夜、佐々木を後ろから抱きしめたときの匂いを思い出しながら、僕はそっと玄関の扉を閉じた――

 

結果的に、それが佐々木を見た最後の姿となった。

 

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