明日はいよいよ東京ドーム公演だ。
午前2時。
暗い部屋で僕は夢を見ていた。
幼い僕の右手には母の手が握られている。
左手に今も何処にいるのか分からない父の手。
近くの公園に行く途中の、とても穏やかな小春日和の思い出。
今も母の最期の苦しそうな顔を思い出しは、長い溜息を漏らす事がある。
完全にトラウマを克服できた訳ではないらしい。
鈴木先生曰く、恐らく、その記憶はもう一生忘れる事はないだろうと言われた。
それは当然か。
その記憶を消す代わりにブラックバードを手に入れたのだ。
ブラックバードを失えば、その記憶は定着し続ける。
中途半端な僕はブラックバードを失い、嫌な記憶を取り戻してしまった。
故郷に帰ったのは失敗だったか。
そんな後悔を頭に浮かべながら、当然のように眠れない身体で、何度も寝返りを打つ。
明日が終われば、何か得る事が出来るだろうか?
いや、何もかもから解放されるだろうか?
その後、僕の人生は何処に向かうべきなのだろうか?
今、考えても仕方がない。
鳴り止まない、うるさい鼓動を子守歌替わりに、何度も寝返りを打つ。
今までの後悔を思い浮かべながら、何度も、何度も寝返りを打つ。
カーテンの隙間から朝日が射し込もうとも、僕は何度も寝返り打った。
2008年 12月 8日 火曜日
ブラックバード・東京ドーム・コンサート ~刹那の邂逅~
主催『BS・新日本ケーブル放送』
企画/制作『ガイア・レコード』
開場時間17:30
開演時間19:00
スタンド席専用入場口。
孔雀の羽をあしらった上着に、赤い本革のタイトなパンツ。
いつもの漆黒の仮面を掛け、意味有り気に斜め上を見上げ、右手を掲げて人差し指を立てるポーズ。
その真ん中には『飛べない鳥の旅路』と紫色で独特なフォントで記されている。
今回のアルバムのジャケット写真が入場口に大きく飾られていた。
客観的に眺めていると、なんだか他人事のように見える写真。
しかし、あれも僕なんだよな。。。
まことしやかに信じがたい。
そんなポスターの前で記念撮影を行うファンたちが楽しそうに群れている。
マスコミやゴシップ雑誌が散々とある事ない事をツラツラと書き連ね、ネガティブな印象操作をしていた。
それなのに、ファンたちはブラックバードを見捨てなかった。
当然か。
ブラックバードの価値は現実に有らず。
ブラックバードの世界観に価値がある事を、ここに居る皆は知っているんだ。
開場30分前。
既に多くの観客たちが、向かいの建物の2階から周辺の公園にかけて長い列を成していた。
その中にはブラックバードを模したお手製の仮面を被っている客の姿も見られた。
天気は晴れているものの、今日も日中で11℃くらいしか上がらなかった。
日暮れが早い夕方ともなると、既に肌寒さを感じさせる風が吹き始めていた。
そんな屋外にも関わらず、会場周辺は熱気を帯び始めている。
みんな、風邪をひかないかな。。。
近くの白い簡易テントでは、今回のライブ限定で発売された記念グッズが早くも完売してしまっている。
想定外の売れ行きに、スタッフたちは慌てて物販置き場の撤収準備を始めている。
そんなテントなんて、後で片付ければいいのに。。。
その横には会場内に入り切れない程のフラワースタンドが並んでいた。
今年初めに行ったツアー最終日の日本武道館の時よりも随分と増えている。
やはり東京ドームは偉大だ。
コンサートの規模が大きくなれば注目度も影響力も高くなるらしい。
そんな会場で、本当に自分が立って良いのだろうか?
影響力が偉大になり過ぎると、一人の人間が人間以上の存在になったと、錯覚させられる。
まさに、神にでもなったかのように。。。
「開場となります!」
入場口に居る若いスタッフの声を合図に、長蛇の列が徐々に動き始める。
それを楽屋のモニターで眺めていた僕も次第に緊張感を抱き始める。
妙に喉が渇く。
気が付くと、1リットル入りのペットボトルの水を全て飲み干していた。
それでも全く落ち着かない。
試しに、部屋の隅にある姿鏡に全身を映し、自分の容姿を確認する。
鏡の中には、黒いベルベットのジャケットに、黒いタイトなレザーパンツ、手には黒い本革のグローブ。
そして顔には黒い奇妙な仮面を掛けた男が立っていた……
全身黒ずくめに覆われたカラスみたいな格好。
紛れもなく、鏡の中には、あのブラックバードが存在する。
そして僕の背後には、蛍光ピンクのパーカーを着た涼子が腕組みをして立っていた。
「似合ってるじゃない。どこからどう見てもブラックバードだわ」
僕の耳元で涼子の自信に満ちた声が聞こえた気がした。
「もう大丈夫ね」
そう言い残した涼子は、僕の左肩にそっと手を添える。
そんな涼子の手から伝わる温もりが、不安に駆られていた僕の心を優しく包み込む。
その瞬間、僕の左肩に純白に輝く翼が勢いよく生えてきた。
――コンッコンッ――
乾いたノック音が部屋中に響く。
死刑の執行を覚悟するように扉を開ける。
そこには、死神ではなく若い男のスタッフが立っていた。
「バックステージまで案内します」
神妙な面持ちを浮かべる若いスタッフ。
嫌でもこちらに緊張感が伝わって来る。
本当に死刑の執行が待っていそうで本当に怖くなる。
しかし、ここまで来たら、もう逃げ場はない。
だから、スタッフの後に付いて歩く他に選択肢はない。
しかし、階段を降りてステージに向かう所で、何故か、その足取りが驚くほど軽くなっていた。
これは死刑台への歩みではない。
寧ろ、天国へと繋がる階段を昇る為の儀式だ。降りてるけど。
迷いなく、そう強く思える自分が居た。
現に今、自分の左肩には天使にも負けない立派な純白に輝く翼を涼子から授かった。
恐らく、その影響で僕の心が前向きになったのだろう。
涼子に感謝と祝福を。
バックステージに着くと会場内は、既に多くの観客で埋まっていた。
雑談や足音などが耳に入る。
そんな様々な雑音が臨場感を生み出し現実味を増す。
それがプレッシャーとなり僕の心に圧し掛かる。
「開始15分前です」
小声で横に居るスタッフがこっそりと告げる。
それを聞いた僕は神経を集中させる為に目を閉じる。
「もう大丈夫だろ?」
不意にブラックバードの声が聞こえた気がした。
まるで他人事のような物言いだ。
何が大丈夫だよ。
君が居なくなってからの僕の人生は散々だ。
「本当にそうか? ちゃんと考えてみろ」
ブラックバードが居なくなったあの日を境に、随分と濃い時間を過ごしてきた。
そうだな。
今まで、ずっと君に面倒と困難を押し付けていたんだな。
そのツケが溜まりに溜まって、今になって僕のところに返ってきた。
絵に描いたような因果応報だ。
「だが、お前はそのツケを自分自身で払おうとしている。
それは立派な事だ。
誰にだって出来る事じゃない」
なるほど。
このコンサートも僕が溜め込んだツケか…
だったら、しっかりと払わないといけないな。
「もう大丈夫だろ?」
同じ問いを掛けてきたブラックバードが僕の右肩にそっと手を添える。
その手から感じる温もりは、先程の涼子の時はまた異なり、僕の強張った心を解き解す。
そして僕の右肩には他人には決して見えない、漆黒の大きな翼が勢いよく生える。
そんな翼を得たせいか、僕の心は自ずと高揚し始める。
そう、僕はもう一人じゃない。
現に、僕の背中には、何物にも代え難い、美しくも妖艶な宇宙の果てまで飛んで行ける立派な翼を手にした。
これで今日のコンサートも飛べる。
「もう大丈夫だよ」
ステージ上で流れているコールドプレイのトークからビートルズの『ブラックバード』に切り替わる。
その途端、今まで雑談をしていた観客たちから大きな歓声と拍手が沸き起こる。
前回のコンサートと何ら変わらない反応だ。
唯一違う点と言えば、今の僕はブラックバードの皮を被った一般人だという点だ。
だから、この会場に入った4万人の観客を漏れなく全員騙さなければならない。
新人マジシャンがいきなり大舞台でマジックを披露しなければならないような心境だ。
その為には、まず自分自身を偽らなければならない。
「そろそろスタンバイの方、お願いします!」
その声と共にバンド・メンバーもバックステージに現れる。
今回も、前回と全く同じバンド・メンバーが揃ってくれた。
バンド・メンバーにはレコーディングの際に、僕の現状を笹沖の方から知らせたらしい。
それでも誰一人として嫌な顔一つせず、今まで通り演奏をしてくれた。
本当に頼もしくて、ありがたい。
これもブラックバードが言っていた翼なのだろう。
「色々と大変だったようだな。もう大丈夫なのか?」
ドラム担当のユーヘイが心配そうに尋ねてきた。
それに釣られる形で他のバンド・メンバーも、徐に僕の周りに集まって来る。
「本当は逃げ出したいくらいヤバかったけど、もう大丈夫」
そんな僕の頼りない言葉に、ユーヘイたちは目を合わせて、何か言いたそうな顔をする。
「どうしたの?」
「いや、ブラックバードらしくはないと思うんだけど…」
「だから、何?」
「景気づけに円陣でも組まないか?」
そういえば、ブラックバードのコンサート前に円陣は愚か、コミュニケーションの一つも取った事がなかった。
それで皆は遠慮気味になっていたようだ。
本当にブラックバードは周囲に心配を掛けるのが好きらしい。
「良し! 円陣を組もう」
僕の掛け声で皆の表情は明るくなる。
そして誰ともなく両肩を広げ円陣を作る。
「掛け声もブラックバードがよろしく」
ユーヘイの提案に皆も黙って頷く。
「何て言おうか?」
「任せる」
全く何も考えていなかった。
適切な言葉は思い浮かばなかったが、言いたい事は一つだけあった。
「それじゃあ… 悔いの無いように飛ぼうか!」
「オーーーーーー!」
僕の拙い掛け声にバンド・メンバーが笑顔で応えると、自然と周囲のスタッフたちから拍手が起こる。
その中には、何故か、涙ぐむ笹沖の姿もあった。
まぁ、いいか。
「それではバンド・メンバーの皆さんからステージにどうぞ」
スタッフの指示と共に、メンバーが僕よりも一足先にステージに上がる。
そんなバンド・メンバーと一人ずつ握手を交わしながら見送る。
暗闇の先に向かうメンバーがこちらから完全に見えなくなると、不意に心細くなった。
数秒後、観客席から大きな拍手が起こり始める。
無事にメンバーはステージに上がったようだ。
「ブラックバードさんはこちらに移動してください」
そんなスタッフに促されるまま、僕はバンド・メンバーとは異なり、ステージの地下へと繋がる階段に誘導される。
それは涼子が「絶対にやりたい」と提案した鉄製の鳥籠に入る為だ。
普通に出入口を作ればいいものの、その鳥籠は一旦地下に潜り、真下から潜る形で入るという面倒な構造となっていた。
これも涼子の拘りらしい。
最後まで涼子らしくて泣けてきた。
そんな涼子の憎たらしい笑顔を思い浮かべながら、真っ暗な舞台の骨組みが入り組んだ地下に降りる。
「足元に注意してください」
若いスタッフは懐中電灯で僕の足元を照らしながら誘導を続ける。
すると、ステージの右端に作られた大きな鳥籠の真下に到着したようで、簡易的に作られたパイプの梯子が現れる。
「ここから登ってスタンバイの方をお願いします。出来ましたら、手で合図をください」
スタッフの誘導はここまでのようだ。
本当にパイプと針金だけで作った心持たない簡易的な梯子。
高さは3メートル程か。
暗くてよく見えないが、想像していたよりも高く感じる。
生命的な意味での恐怖心を抱く。
それもまた涼子の試練か。
そんな梯子に手を掛けた所で、想定通り、手足の末端が小刻みに震え始める。
夢で何度も見た光景だ。
このままだと、皆の前に立った瞬間、頭が真っ白になり、歌詞が出て来なくなってしまう。
無言で立ち尽くして、4万人の冷たい視線が僕の身体を突き刺す。
そんな悪い妄想を振り払うように大きく深呼吸をする。
そして一歩ずつ、確実に梯子を登り始める。
もう逃げられない。
世界を騙し、自分を偽れ。
今の僕には立派な翼がある。
強く自分に言い聞かせ、一歩ずつ確実に梯子を登り切った。
そんな鳥籠は全体をすっぽりと覆い隠すように、大きな白い布が覆われていた。
これで観客席から、この中は全く見えていない状態にしているようだ。
まだ誰にも見られていない。
そして如何にもブラックバードの世界観に合いそうな黒いアンティーク調の椅子が置かれている。
ここに座れという事か………
大きく深呼吸をして、黒い椅子に座ったところで、真下に居るスタッフに手を振る。
ステージ上で流れていたビートルズの『ブラックバード』が終わりを迎える。
すると、4万人の観客たちもブラックバードの登場を待つように静まり返る。
僕の心臓は激しく脈打ち、震える手足を隠すように全身に力を入れる。
すると、左右の純白と漆黒の翼も大きく前後に揺れた。
しかし、実際のステージは、想像していたステージとは随分と異なっている。
僕は今、大きな鳥籠に囚われている。
これじゃあ、本当に、監獄に収容された死刑囚みたいじゃないか。
そんな自分の姿を客観的に想像していると、何とも滑稽に思えて笑えてきた。
その瞬間、自然と全身の緊張感が解け始めた。
確か、ブラックバードは自分の事を“俺”と呼んでいたよな…
MCの際には気を付けよう。
これだけ細かい注意事項を頭の中で確認できるまでになっていた。
もう大丈夫だ。
通常ならば、BGMが終わってすぐにブラックバードが登場する。
しかし、今回は東京ドームという事で、特別な演出が加わっている。
もちろん、涼子の提案だ。
しばらく待っても一向にブラックバードが現れない。
次第に、観客席からは動揺するような騒めきが起こり始める。
そのタイミングを待っていたと言わんばかりに、ヴェルディの『レクイエム』が大音量で流れ出す。
そんな音にどよめく観客を余所に、ステージを照らしていた赤い照明が、まるで雷鳴を轟かせるが如く激しい点滅を始める。
そんな点滅に合わせ、激しいドラムロールとベースラインが破滅のメロディへと誘うように奏で出す。
さぁ、僕も俺として、飛ぼうじゃないか。
鳥籠に掛けられていた大きな白い布が勢い良く降ろされる。
始まれば終わる。
このステージ上で自分自身も知らなかった、本当の僕が獣と化し、全てを解放する―――
『飛べない鳥の旅路』
誰かの憧れが強過ぎた ヘブンデイズから抜け出そう
僕らに残された時間には限りがあるから
飛び方を知らない頃は幸せだった?
無い物強請りに蝕まれずに済むから
いっそ「飛べない」と言い聞かせてくれ
あなたが言えば 全て信じてしまうから
いつの時代も 理想と現実は共犯者なのさ
フライ フライ 羽根は無くても 心まで亡くさないで
クライ クライ 今は辛くても どうか諦めずに
やっぱり消えないね 幼い頃の傷跡…
溜め息も出ないくらい 多くの夢に騙され… 今も彷徨い…
仮に始めから飛べていたなら ヘブンデイズは素敵だろうね
誰かの都合のいい鳥籠で優しく殺されるから
でも世界の歪みを知ってしまった
今更もう 引き返せないよね
また今夜も 後悔が被害者面して泣いてる
季節を飛び立つ翼は 奇跡も飛び越えるだろう
嘘や矛盾を超えて 常識の樹海も超えて 新しい空へ…
フライ フライ 願わくば 僕の時代で終えて
暗い 暗い 未来なんて 捉え方で変わるのさ
フライ フライ 羽根は無くても 心まで亡くさないで
クライ クライ 今は辛くても どうか諦めずに
いつか会えるかな 幼い頃に抱いた自分に…
飛べない鳥でも 旅立つ事は出来ると… 伝えたい…
誰かの憧れが強過ぎたヘブンデイズから抜け出そう
僕らに残された時間には限りがあるから…
「本当の敵は自分の中に居る」なんて台詞をよく聞くけどさ、
逆説的に言えば、本当の味方も自分の中にしか居ないんじゃないかな?
今の僕たちみたいにさ。
なぁ、ブラックバード。
――了。
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