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ブラックバード-「飛べない鳥の旅路」より- 2章

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ブラックバード-飛べない鳥の旅路より-

大勢の観客を前にしても、一切怯む事の無い、寧ろ普段以上に堂々とした立ち居振る舞いでステージをこなす。
更に芯の通った歌声も加わり、視覚と聴力で観客の感情を激しく揺さぶりながら確実に心を掴み続ける。
バックステージにある小さなモニターで見守っているだけで緊張してしまう僕には絶対に真似など出来ない。
それをブラックバードは当り前のようにやり遂げるのだから、尊敬しない訳にはいかない。

そういえば以前、ブラックバードは雑誌のインタビューでこんな事を言っていた。

ライブには、ライブ特有の、ライブでしか得られない快感が潜んでいる
観客たちの香水と飛び散る汗の匂い、会場の熱気を帯びた歓声と計算された照明。
そして、高なる鼓動と激しい生のグルーブ感がシンクロしてユニゾンする瞬間。
全てが欠ける事無く綺麗に一致した時にだけ、何にも変え難い崇高なる興奮が生まれる。
その興奮は俺の全身を性感帯に変えて、容赦なく快楽の彼方へと誘う。
その感覚はまるで空を自由に飛んで、最終的には宇宙を遊泳しているような感覚なんだ。
そんな快楽を一度でも経験したら病みつきになる。悪い薬のように癖になり、止められない。
そんな快楽に出会えるライブだと分かっていれば、緊張なんてしない。
そこにあるのは快楽を求め、常に新しい挑戦を続ける貪欲な飽くなき探求心だけ…」

その話を聞いた時に納得した。
そして理解した。
毎回ライブ前にソワソワと落ち着かない様子を伺わせているのは緊張などの類いでは無く、
早くライブ特有の快感を味わいたくて待ち遠しい、明日の遠足を待ちきれない少年の前夜みたいな気持ちを無理に抑えようとしていたのだ。
僕の価値観から最も離れた場所にブラックバードは立ち、今も精力的にステージ上を所狭しと右往左往しながら快楽を探し求めている。
仮面で表情は見えないが、その独特な動きに観客だけでなく、僕の横でモニター越しに見守っているスタッフたちまでも魅了していた。
そんな皆の姿を見て、何故か僕自身が誇らしく思えた。

一瞬の9000秒――

気が付くと、観客だけでなくバックヤードのスタッフや僕も時間を忘れて魅了されていた。
予定していたコンサートはアンコールを含む全24曲をトラブル無く大盛況のまま無事に終演を迎える。
バンドメンバーも去り、ステージ上には全身汗だくになったブラックバードだけがマイクの前に立っていた。
最後に、ちょっと発表があります!
息を切らせながらマイクを握ったブラックバードは高まるテンションのまま後ろのメインモニターを指す。
それに釣られた観客たちがモニターに視線を集めると、そのタイミングで白いドーム状の建造物が空撮された映像が流れる。
「年末はここでお会いしましょう!」
ブラックバードの叫び声と同時にモニターには派手なエフェクトと共に『12月8日 東京ドーム公演・開催決定!』と映し出される。
それを確認した観客からはどよめきと共に大きな拍手と歓声が沸き上がった。
「楽しみに待っていてください。サンキュー、グッナイ!」

破れんばかりの拍手喝采を一身に浴びて気分を良くしたブラックバードは肩で風を切りながら満足げにステージを降りてきた。
そこに待機していた僕は予めスタッフから預かっていた大きなバスタオルをブラックバードに渡す。
すると、ブラックバードは被った仮面はそのままに、髪から大量に出る汗を拭きながら足早に楽屋へと戻って行った。
そんなブラックバードを確認したスタッフたちはすぐに自分たちの持ち場へと戻り、ステージの解体作業に取り掛かる。
他のアーティストがどうしているのかは分からないが、ブラックバードのコンサート後はいつもこんな具合で何とも味気がない。
まるで達成感を皆で分かち合う行為に、何ら価値も生み出せない人口知能のようだ。
だから当然ながら、打ち上げなどの類いもない。
それは恐らく、ブラックバードが普段から会話する人物が2名しか存在しないからだろう。
その中に僕が含まれているのは当然として、残りの一人はプロモーション・ビデオなどの映像監督を務める深見涼子だ。
逆に言ってしまえば、僕と涼子以外は無視、或いは存在そのものを認識していない状態に陥っている。
それもわざとではなく、本当に僕と涼子以外の人間がこの世界に存在していないように。
もう病気の領域だ。
そんな背景からブラックバードのマネジャーになってしまった僕が、彼の代行として仕事の打ち合わせから私生活の最低限の世話に至るまでを任される羽目になった。

さて、これからが本日の僕の業務に移るわけだ―― 

誰も近寄らないブラックバードの楽屋に入ると、その瞬間から古代西洋を連想させるエキゾチックな香りに包まれる。
どうやら、最近インターネットで購入した線香を焚いているようだ。
どうだった?
僕が部屋に入って来る事を予め察していたかのように、足を一歩踏み入れた瞬間にブラックバードは疲れた口調で尋ねてきた。
楽屋は薄暗く、中央に置かれた黒いソファーにうな垂れる様に座っていた。
相当疲れているように見えるが、それでも仮面は外していない。
「良かったよ」と僕は率直な感想を述べる。
「ちゃんと飛べていたか?」
「もちろん。飛べない僕が嫉妬する程に」
「そうか…」
僕の言葉を聞いたブラックバードは安堵したように口元を少し緩めながらソファーからそっと立ち上がる。
そして汗まみれになったステージ衣装を脱ぎ捨てながら全身から流れ落ちる汗を先ほど僕が渡したバスタオルで拭き取る。
「この世界には飛べない人間で溢れている。だから、自由に飛べる人間を羨んだり、憧れたり、嫉妬したりする。
そんな飛べない人間の感情を全て受け止めて俺は飛ばないといけない。それが俺の… ブラックバードとしての使命なんだ
まるで自分に言い聞かせるように、或いは言い訳するように弱々しく発したブラックバードのこの言葉…
聞かされたのは今回で何回目になるだろうか。
もう数え切れないくらい聞かされているせいで、自分の海馬にまで定着している。
同時に、その言葉を聞く度に僕は飛べない側の人間で良かったと思ってしまう。
もしも、僕が自由に飛べる鳥だったら、空の無限に広がる可能性に目眩を起こして、どこを飛べばいいのか分からなくなり、自分の居場所を見失い、飛ぶ事に怯えて、最終的には何処にも飛ぶ事が出来なくなる。
貴重な翼を無駄にしてしまうだろう。
しかし周囲からは貴重な翼を羨ましがられる。
だから弱い僕は自らの手で自分の翼をむしり取ってしまうだろう。
首の短いキリンなど居ない。
鼻の短いゾウも居ない。
鳥は飛べてこそ、鳥としての存在意義を見出せる。
「だったら、人間の存在意義はどこにある?」
「えっ!?」
ほら、まただ。何も言っていないはずなのに、僕の心を見透かしたようにブラックバードが不意に核心を突くように問い掛けてくる。
こういった不思議な現象は今回だけではなく、今までに幾度とあった。
まるで僕とブラックバードには見えない配線で繋がれて、思考の共有をしているような錯覚に陥る。
だからと言ってこんな不思議な現象に慣れることも無く、毎度ながら驚かされ狼狽えてしまう。
目を見開き何も言えない僕に対して、ブラックバードも何か言うでもなく黙々とステージ衣装から普段着の白いジャージへと着替える。
それでも黒い仮面は外さない。いつ、如何なる場合でもブラックバードは仮面を外さない。
恐らく、覆面レスラーのプライベートよりも外さないだろう。それが彼のポリシーなのだろう。
「渡辺くん、ちょっと良いかな」
沈黙に支配されていた部屋に雑音が滲むように、ドアの隙間から妙に甲高くも弱腰な男性の声が響く。
「はい」と僕がそっと扉を開けると、そこには茶髪に紺色のスーツを着たホストクラブに居そうなチャラい男が立っていた。
しかし当然ながらその男はホストクラブの店員ではなくブラックバードが現在所属している『サファイア・レコード』の企画担当をしている笹沖だった。
この業界人特有の胡散臭さが見事なまでに表現されている。
普段は笑い袋のようにいつも無駄に不自然な笑い声を上げる陽気な笹沖だったが、今日はいつに無く深刻そうな表情を浮べている。
嫌な予感しかしない。
「何かあったんですか?」
「いや~、ライブ直後で申し訳ないんだけどさ~、この前話してた新曲の件さ~、ちょっと前倒しできないかな~?」
ブラックバードの次回作の件だ。
1ヶ月前の打ち合わせでは「12月の東京ドーム公演前に完全オリジナル・アルバムの発表。先行して新曲を夏頃に出したい」
という大雑把な方針とスケジュールを立てた所で会議は終わっていたはずだ。
「それは随分と急ですね。何かあったんですか?」と素朴な質問に対して、笹沖は絶望の表情を浮かべると共に万里の長城よりも長い溜息を付く。
「それがさぁ~、今度うちの会社でネット配信サービスを開始するんだけどね。
その目玉として”是非、今最も勢いのあるブラックバードをプッシュしたい”って上層部の方から話しを振られた訳だよ。
でも今まで発表した曲だとインパクトが薄いじゃん? だからさぁ、フルアルバムとまでは言わないから、未発表の完全な新曲を2、3曲なんとかならないかな?
って上司に言われちゃったんだよね~… 何とかならない?」
笹沖が申し訳なさそうに全身をくねらせながら両手を激しく擦り合わせながらお願いする。
その仕草がどうもワザとらしくて癇に障る。両手の摩擦で火傷でもすればいいのに…
何よりこの案件は曲作りに全く携わらない僕が判断できる話じゃない事は笹沖だって重々承知しているだろうに…
しかし、ブラックバードは僕と涼子以外とは会話をしない。故に自然と僕が仲介せざるを得ない。
毎度ながら無駄な行為にいつも溜息が漏れてしまう。
「一応、本人には伝えておきますけど…」
「良かった。それじゃあ、正式に決まったら早めにメール頂戴ね。すぐにプロモーションも撮っちゃうから、スタジオも押さえておかなくちゃ」
先程の申し訳なさそうな表情が嘘だったみたいに、一瞬でいつもの笑顔を取り戻した笹沖。
そして素早く右手を振りながら、左手に携帯電話を持ち出してはご機嫌なステップで去って行った。
とても単純な性格が羨ましく思える。
しかし、コンサートが終わったばかりのブラックバードに新しい仕事をすぐに依頼してもいいものか…
タイミングを計って相談した方が良さそうだと思いながら楽屋に戻ると、既にジャージに着替え終えていたブラックバードが「分かった」とだけ告げた。
一体、何が分かったのだろうか?
僕が呆気に取られていると「行くぞ」と言いながらブラックバードは颯爽と楽屋から出て行くものだから、僕も慌てて後を追う。
「ブラックバードさん、帰られま~す」
周囲のスタッフたちが作業を止めて、ブラックバードの前で一礼する。
「そういうのは良いから、作業に戻ってください」
僕がスタッフに気を使う中でも、ブラックバードは我関せずと無言のまま颯爽と廊下を突き進む。
本当に僕と涼子以外は見えていないようだ。
しばらく歩き武道館の裏口に差し掛かった所で「ちょっと待って」と僕は腕を横に伸ばしてブラックバードの足を止めた。
この瞬間からが僕にとって本日最大の重要業務になる。
ブラックバードを待たせた僕は一人で裏口まで先回りするとガラス張りの扉から外の状況を窺う。
「…やっぱり」
案の定、既に多くの出待ちをしているファンが殺到し、ブラックバードを送迎する車を取り囲むように待機していた。
しかし幸いな事に、この扉から送迎車のドアまでの経路は警備員たちが必死で確保してくれている。
一連の状況を把握してブラックバードの元に戻り「ここからは素早く移動してくれ」と指示を出すが、ブラックバードは今の状況を楽しんでいる様子で口元を少し緩めた。
どこまでも余裕を欠かさない大物っぷりな性格に僕の方まで表情が緩んでしまう。
ブラックバードと共に再びガラス越しの扉の前まで向かい、そっと扉のノブに手を添えて出て行くタイミングを見計らうが…
大規模デモのような大衆が押し寄せる大海原の中に飛び込むタイミングなんて皆無だ。
半ば諦めかけたその時、必死でファンたちを食い止めている警備員の一人が僕の存在に気付いたようで、こちらに向かい小さく頷いた。
これはもう行くしかない!

キャーーー!!

扉を開けた瞬間にブラックバードを確認したファンたちからコンサートと同様の大きな歓声が沸き起こる。
そしてブラックバードに近づこうとするファンと警備員たちが激しい押し競まんじゅうを始めると、若干の警備員側が優勢になり送迎車までの道が確保される。
そのタイミングで僕はブラックバードを先導して素早く車に乗り込み、すぐにドアを閉めた。
この一連の動作も毎回の事なので随分と慣れたものなのだ。
しかし、車の周囲には当然ながら大勢のファンが未だに多く群がっている。
運転手が長めのクラクシュンを何度も鳴らし続け、徐々に車の前方の道が開けてきて、何とか車が動き出しツアーの最終公演も無事に終えた。

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