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ブラックバード-「飛べない鳥の旅路」より- 11章

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ブラックバード-飛べない鳥の旅路より-

梅雨明けが発表された7月中旬のこと。

新しいアルバムのタイトルが『飛べない鳥の旅路』に決まった。
この前のカウンセリング時に脳裏を横切った瞬間から、この単語が脳の片隅にこびり付いて離れなかった。
半ば諦めるように決めたタイトルだが、時間が経つに連れてしっくりと来ている。
ブラックバードもそんな感覚で創作していたのか?

タイトルが決まると、停滞していた曲作りも徐々に進み始める。
この度は色々と大変でしたね。体調の方は大丈夫でしょうか?
そんな僕の体を気遣ってくれる亀山さんのメールには、3つのデモ曲が添付されていた。
ありがとうございます。体調は至って順調です。後は作詞と歌が出来れば問題なのですが
そんなメールを返信した後に、溜息を混じらせながらデモ曲を聴きながら作詞作業に入る。
しかし、当然ながら作詞なんて一度もした事のない僕は必然的に悪戦苦闘を強いられる事になる。

この曲で何を表現したい?
この歌で何を伝えたい?
その為にどんな言葉を紡げばいい?

具体的な言葉で、尚且つ、メロディーに寄り添うように、文字数の制限以内で詰め込まないといけない。
適当な単語をあてがって、それらしく仕立ててみても、何となくぎこちない。
試しに、実際に歌ってみると、歌いにくい部分や曲の構成と合わない部分が多々ある。
そして何度も修正を繰り返す中で、そのうち、始めに伝えたかったテーマを見失う。
いつの間にか、出口の見えない迷路に迷い込んでしまっている始末だ。

ブラックバードはこんなにも大変な作業をずっと一人でしていたのか――
そう考えると改めてブラックバードの偉大さを痛感させられた。

そんな曲作りと同時進行で東京ドーム公演に関する具体的な演出の打ち合わせも始まった。
まず始めに決まったのが、ステージ・ディレクターを涼子が務める事だった。
珍しく涼子の方から「自分に任せてほしい」と要望してきた。
涼子がコンサートのステージ構成を担当するのは今回が初めての事だ。
だが、不安や不満など一切ない。
寧ろ、この世界で最もブラックバードを理解している、最も適任な人物だ。本当に心強い。
ブラックバードが居ない二人だけの会議は、いつものように2階にあるブラックバードの作業部屋だった。
ステージの中央に鉄製の大きな鳥かごを作りましょう。その中でブラックバードが歌うの
突拍子もない発想だが、如何にも涼子らしい。
何よりブラックバードのコンサートらしい演出だ。
それでオープニングの1曲目が終わったら、鳥かごが開いて、ブラックバードが羽ばたくように登場するの!
興奮した様子で湧き出る演出のアイデアを大きなジェスチャーを交えて矢継ぎ早に話し続ける。
本来ならば、その演出案にブラックバードも同調するように意見を出し合い2人で喧嘩したり共鳴したりして素晴らしい演出を練り出すのだろうが……
ブラックバードはもう居ない。
涼子は演出案を一通り言い終えると、その後は空しい沈黙が待っているだけで、期待していた誰かの意見や感想は全く返って来ない。
仮に今の僕が「凄く良いアイデアだ
そう言ったところで、涼子からしてみれば気休めにもならない。
それを知っているからこそ、僕は何も言えない。
こんな時でさえ、いちいちブラックバードの偉大さを痛感させられる。
痛感してばかりで、本当に胸が痛くなりそうだ。
だから、せめて僕は、僕が今できる事を精一杯するしかない。

慌ただしく時間が逃げるように過ぎて行き、気付けばカレンダーが8月の下旬を示していた。
毎回、涼子とのコンサートの打ち合わせが終わるのは深夜1時を越えていた。
だから毎回のように打ち合わせが終わると、決まって夜食を買いにコンビニまで向かうようになっていた。
外に出ると日中に蓄えた暑さが逃げ場を失くしたように路上を彷徨っていた。
そんな蒸し暑さに嫌気が差しそうになった時、不意に夜風が僕の頬を優しく撫でた。
紛れもなくシベリアから徐々に近づく秋の気配だった。
まだこんなにも蒸し暑い熱帯夜だというのに、季節は徐々にだが、確実に移り変わっている。
どんなに嘆いても時間は人々に等しく刻み続ける。
そして刻み続けた先には…… 地獄か、楽園か、、、

 

藻掻きながらも何とか作詞作業をひと段落つける事が出来た。
それは、サファイア・レコードが予め設定した最終期限ギリギリの9月下旬だった。
これで亀山さんのマスタリングが済めば曲作りの作業自体は終了となる。
しかし、どうしても、ブラックバードが途中まで書いた、あの歌詞だけが完成しなかった。
周囲から『今回は諦めるのも選択肢だ』と言われ、自分も激しく同意したかった。
でも何故か、この曲は今回のアルバムに入れないといけない気がして、皆にはギリギリまで待ってもらう事にした。
それでも間に合わなければ、その時は仕方がない。潔く負けを認めよう。

さて、次にする作業は……

作詞以上に困難な作業が待ち受けている事を僕はすっかりと忘れていた。
寧ろ、問題はここからだ。
それは僕が今までの人生で全く経験のしたことが無いレコーディングだ。
何せ、人前に出る事が苦手な僕はカラオケなどの類も行った事が無い。
作詞を終えた翌日からすぐに3週間ほどボイストレーニングに通った。
しかし、そこの先生曰く「渡辺さんの場合は、歌い方以前に緊張を取り除く事が必要ですね」と苦笑された。
それは至極まともな指摘で、そもそもブラックバードは完璧に歌い上げていたのだ。
理論的にも、生物学的にも、全く同じ声帯を持っている僕が出来ないはずは無い。
性能の高い機体でも、操縦士が異なれば雲泥の差が出るのと同じ論理なのだろうさ。
そんなこんなで、レコーディングの際は極力人数を減らして行う事になった。
何十回か、いや、それ以上か、もう数え切れない程のテイクを繰り返し、何とかディレクターの妥協に満ちたOKが出る。
プロデューサーは何度も頭を抱えていたが、その頃になると僕はすっかりと開き直っていた。
そんな感じで完成したのが『美しき代謝』だ。
今までのロック調の中に和風のテイストを織り交ぜたブラックバード時代とは少し異なる作品に仕上がった。
そんな新曲のプロモーション・ビデオだったが、今回は僕の不安定な精神状態を考慮して本人の出演は無かった。
代わりに若手の俳優を使って制作を行ったらしい。

太陽も月も ひとつしかない理由  欲張りな僕を 孤独にするため
地球も宇宙も ひとつだけ  僕の詩の方が 多いのに…

敵わないことばかりなの 伝えたい事ばかりなのに
良い言葉が見つからない 君は今何をしてますか

「神は偉大なり」と叫び ひとつの国が終わりかける

桜が散れば夏が来る それは美しき代謝です
人類が滅亡したとて それも美しき代謝です

使い捨ての 晴れた朝に  そんな日々に 届けたいの

人が生まれ変わるとして  今まで何回死んだのか
前世の記憶が無いのは  死への恐怖を与える為

どれだけ愛し合いました?  どれだけ殺し合いました?
それは愛しき浄化です  そして美しき代謝です

ゆらりゆらり 踊りましょう  もしも明日 晴れたならば

忘れたいことばかりなの 自己主張だけは強いのに
主体は何処にも無いし 僕は今何がしたいのか

「あなたはどこに居ますか?」と 僕の目の前で問い掛ける

夜が去りして朝が来る それも美しき代謝です
太陽が涙流しても とても美しき代謝です

もしも明日が 消えたならば  そろりそろり 眠りましょう

今度生まれ変わるとして  僕は何を望めばいいの?
来世の予測が無いのは  希望の糧を与える為

どれだけ解り合いますか?  どれだけ憎み合いますか?
それは愛しき浄化です  なんて美しき代謝でしょう

ゆらりゆらり 踊りましょう  そろりそろり………

昨日も明日も 一度しかない理由   曖昧な僕を 悔やませるために
あなたの命も ひとつだけ   僕の罪の方が 多いのに…

プロモーション・ビデオが完成しても、僕は一度もその作品を観る事が出来なかった。

ブラックバードがプロモーション・ビデオに全く関わらなかった作品は今回が初めてだ。
そんな完成したプロモーション・ビデオを僕はどうしても観る事が出来なかった。
ブラックバードの美学なのか、プロモーション・ビデオも含めてブラックバードの世界観を構築しているように思える。
だから、僕が携わらなかった行為は、ブラックバードの美学に反する。
ブラックバードに対する裏切り行為だと無意識レベルで重々理解している。
だからこそ、今回のプロモーション・ビデオを観る勇気が持てないでいるのだろう。
まぁ、涼子に全て任せているのだから、作品の完成度に間違いはないはずだ。
それに今、僕が求められている事はブラックバードの世界観を完璧に再現するのではない。
あくまで、皆が設定したゴールまで、即ち、東京ドーム公演までを無事に走り抜ける事なのだから――
そう言い聞かせて毎日を誤魔化すように、溺れないように、必死にもがく様に生きている。
こんなものが自分らしいブラックバードでは無い事くらい理解している。
しかし理想と現実の乖離に溺れて絶望する暇も無い。
気が付けば、もう10月も中旬に差し掛かっていた。
僕の心に不安が募っている事を嘲笑うように、高野山の麓では紅葉が色付き始める――
世界中が北京オリンピックに注目していたお陰で、ブラックバードに対する悪質な報道もすっかりと消えていた。
本当に世間とは身勝手なミーハーたちで出来てるようだ。
何はともあれ、もうマスコミに怯えるストレスは抱えずに済みそうだ。
集中して、最後の1曲を完成させよう。

 

とある深夜。
気が付くと、1階のソファーで寝ている僕を、もう一人の僕が眺めていた。
知性を得られるのは人間として生まれた特権だ。
だから、たくさんの経験や知識が理性を保つ。
だから何処まで行っても所詮、僕は僕でしかない。
ブラックバードの代わりなんて出来やしないのさ
聞き覚えのある男の乾いた声が、誰かに弁解するように語り掛ける。
話の内容から察して、世界中でそんな情けない台詞を吐くのは僕しか居ないはずだ。
しかし僕は仰向けで寝ている。
知性と理性は違うでしょ?
どんなに膨大な知識を得ても、
それが理性を保つ保証にはならないわ。
あなたがステージに立ち、
ブラックバードという本能を解き放った瞬間、
あなた自身でも知らない獣が目を覚ますはずよ。
そして、そんな姿を皆は期待しているのよ
当然のようにきっぱりと言い放った女性の声は涼子だとすぐに分かった。
しかし涼子の姿は何処にも見当たらない。
悪い夢でも見ているのだろう。
視界の中央に居る僕は寝返りを打ち、苦しそうに寝息を立てる。
ここ最近は慣れないレコーディングが続き、疲労が蓄積していた。
だから、こんな変な現象が起きているに違いない。
しかし、今見ている視界は誰からの視点なのだろうか?
もうとっくにブラックバードは消え去っているというのに…

ある日のレコーディング・スタジオ。
何とか間に合ったようだね!
興奮しながら僕の肩を強く叩いてきたのは、企画担当の笹沖だった。
いつも以上に胡散臭い笑顔を振りまいている。
僕の様子が気になって、わざわざレコーディング・スタジオにまで顔を見せに来てくれた。
今回のレコーディングは極力人数を減らして行っている為に、笹沖を遠慮していたようだった。
しかし、レコーディングも佳境を迎えていた。
そのタイミングを見計らって、この日に訪れたようだ。
確か、笹沖と前に会ったのは倒れる前日だったか。
その後は何度かメールのやり取りをしただけで、直接会うのは随分と久々だった。
いや、あと1曲だけ作詞が出来ていないんですよ
大丈夫! 1曲だけでしょ?
最悪、今回の作品に間に合わなくてもさぁ、次に回せるんだし、
僕の立場からすれば、期限に間に合ってくれただけで御の字だよ
そう言いながら再び満面の笑みで僕の肩を何度も叩き続ける。
そう言えば、笹沖も多重人格だった僕と接していたはずだ。
つまり、僕が一人二役で奇妙な言動を受け入れてくれていた事になる。
全く実感は湧かないが、笹沖なりに気を使ってくれていたのだろうか?
そう解釈できた瞬間、急に笹沖の存在が掛け替えのないものに思えてきた。

今のお前にはたくさんの支えてくれる人達が居る。それは必ずお前の翼になる

あの時にブラックバードが放った言葉の意味が心に響く。
つまり、こんな笹沖でさえ、ブラックバードを飛ばす翼という事なのだろう。

レコーディングを終えたのは10月30日だった。
それはレコード会社がタイムリミットに定めていた2日前という事もあり、
笹沖には随分と心配を掛けてしまっていた。
当初「9月中には何が何でも完成させろ!」と随分と会社からの脅迫に近い上層部からの命令があったようだが、
笹沖が会社と粘り強く交渉してくれたおかげで期限を伸ばしてくれたようだ。
後になって涼子がこっそりと教えてくれた。
僕の知らないところで僕の翼として皆が僕を支えてくれている。
笹沖の為にも東京ドーム公演は成功させないといけないな。

11月初旬。
結局のところ未完成だった歌詞は今回のアルバムには間に合わず仕舞いで、心の何処かで敗北感が漂っていた。
それにも関わらず、暇さえあれば未完成のデモ曲を聴く習慣が身に付いていた。
1階のソファーの前にある机の上にノートを広げ、少し高級なヘッドホンで音量を高くして聴いて作詞に集中する。
何故か、最近になって、作詞をしている時間が心地良くなっていた。
しかし、作詞に集中し過ぎるとその他の事が散漫になってしまう。
だから、何やらいい匂いがした所で、ようやく千恵子が台所で料理を作っている事に気付く事もしばしばある。
ヘッドホンを外して台所に向かうと見るからに湯気を上げて美味しそうに挑発してくるエビチリがテーブルに置かれていた。
アルバム完成おめでとう
そんな祝いの言葉とは裏腹に千恵子の表情は何処か暗い影を落としているように映った。
どうかした?」と尋ねても千恵子は「何でもないわ。それよりもエビチリの味はどう? 辛くない?
言って別の話題を持ち出して誤魔化した。
本当にどうしたんだろう?
この感じ、前にも似たような状況があった気がする。
とりあえず、一口食べたエビチリは間違いなく美味しかった。
壁に掛かったカレンダーを眺めると、明日は月に1度のカウンセリングである日を示す赤い印が付いていた。
前回のカウンセリングが昨日の事のように思える程、時間の早さに嘆いてしまう。
ただ、生活が充実しているか? と問われると、全力で否定できてしまう。
単に時間に追われていただけだ。
それでもアルバムが完成した現状には、僅かばかりの余裕が生まれつつあるのも事実だ。

さて、今晩は早めに寝よう。

翌朝、6時にセットしていた目覚まし時計よりも30分ほど早く目を覚ました。
久々に目覚めが良く、普段なら絶対に行わないカーテンを開くという行為を試みる。
すると、窓からは心地良い秋晴れが僕の顔を優しく包む。絶好のカウンセリング日和だ。
相変わらず患者の居ない東京都立総合精神センターの待合室で待っていると、珍しく鈴木先生が待合室にやって来た。
少し驚く僕を他所に鈴木先生はいつもの穏やかな笑みを崩さず「今日は天気も良いので中庭を散策しませんか?」と誘ってきた。
特に断る理由も無い僕は「はい」と先生の提案に従い、二人並んで紫陽花が鮮やかに咲き誇っていた中庭に向かった。

季節の移り変わりは本当に早いですね。私の年齢になると年々そう感じます
そう言いながら、鈴木先生はすっかりと枯果てた紫陽花を寂しそうに眺める。
それに釣られ、僕も枯れた紫陽花を見る。
すると、その隣のポプラの木が僕に何かを訴えるようにそびえ立っていた。
初夏の頃には青々とした葉が、今ではすっかりと黄色く紅葉し、いつ散ろうかと皆で相談している最中だった。
乾いた風が髪を揺らす度、秋の終焉を感じさせる湿った匂いに包まれる。
そんな心細さに、僕の心までも、無意識のうちに不安を募らせていた。
そういえば渡辺さん、お仕事は順調の様ですね。先日、鈴木さんが訪ねて来られましてね、あなたの近況を教えくださいました
鈴木… あぁ、千恵子の事か。んっ?
千恵子がここに来たんですか?
はい。随分とあなたの事を心配していましたよ
涼子ではなく、千恵子か…
何故か、残念な感情と申し訳ない感情が同時に襲ってきた。
とても複雑な感情が沸き起こりながらも、どうして千恵子がこの施設に訪れたのだろうという純粋な疑問を漂わす。
そんな僕の腑に落ちない表情を察した鈴木先生は、穏やかな表情から一変させて真面目な表情で僕を見る。
私も医師という立場から随分と迷いましたが、
今の渡辺さんならば必ず乗り越えられると信じて、
ここではっきりと申し上げますね
何の事ですか?
不意に乾いた秋風が強く吹くと、ポプラに生え揃う葉っぱたちが大きく揺れる。
その時に聞こえた葉音が渚に響く潮騒のようで嫌な予感を巡らせた。
千恵子さんに教えて貰いました。渡辺さんは未だに多重人格障害者のようです
改めて病状を告げられたところで、それは既に僕も知っている承知の事実だ。
今更、驚きはしない。
何故に、このタイミングで改めて病状を告げたのだろうか?
そんな疑問に首を傾げる僕に対して、鈴木先生は哀れみを捧げるような表情を向け、判決を言い渡す裁判官のような冷徹な口調で告げる。

深見涼子という女性はこの世に存在しません。ブラックバードと同様に、あなたが作り上げた架空の人物です

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