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ブラックバード-「飛べない鳥の旅路」より- 1章

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ブラックバード-飛べない鳥の旅路より-

日本武道館・バックステージ通路沿い。

開場して数分も経たないうちに早くも多くの足音や雑談がバックステージにまで響いてきた。
そんな気配を感じ取ったスタッフたちを始め、この場に居るスタイリストやツアーマネジャーたちも落ち着かない様子で一人の男を遠目から見守る。
その視線の先に居るのが、騒々しくスタッフが往来する大きな通路の片隅に全く馴染まない仮面の男だ。
少し黄ばんだ白い壁に両手を付けて、踵を屈伸させて筋肉を解している。
開演15分前でーす
遠くの方から男性スタッフの声が聞こえてきても、仮面の男は全く気にする素振りを見せず一通りのストレッチを終える。
次に近くに置いてあったペットボトルを手に取り少量の水を口に含み渇いた喉を潤す。
仮面の男からは全く緊張感が見られない。
逆に周囲の関係者の方が落ち着かない様子で、無駄に会話を交わして気を紛らわせているようだ。
開演5分前でーす
再び男性スタッフの声が響くと、周囲のスタッフたちは今まで以上に忙しく行き交うようになる。
しかし仮面の男は何も聞こえていないのか、両手を合わせて何度か大きく頷くと大きく口を動かしながら軽く発声練習を始める。
その図太い声が廊下中に響くと今まで忙しく往来していた周囲のスタッフたちは冷静を取り戻したように動きが止まる。
仮面の男は最後までマイペースを崩さず、今度は自分の腹筋部分を軽く小突きながら自分の身体の調子を確かめる。
そして壁に大きく貼られた本日のセットリストを眺めながら曲順の最終確認を始めた。
ステージの方から聞こえていた足音は既に止んでいる。
今は雑談が少々聞こえる程度で、観客たちは各々の席に着いているようだ。
そんな観客たちのタイミングを計ったように、
ステージ上で流れていたBGMがエリック・クラプトンの『チェンジ・ザ・ワールド』からビートルズの『ブラックバード』に切り替わる。
その途端、静寂に包まれつつあった会場から大きな拍手と歓声が沸き起こる。
それはブラックバードのファンならば既に常識となっている、コンサートが始まる寸前のBGMだと知っているからだ。
まだ若かりし頃のポール・マッカートニーの甘い歌声とアコースティックギターが奏でる柔らかいアルペジオは、
嵐の前の静けさを優しく漂うように会場中を優しく包み込む。
ブラックバードさん! スタンバイお願いしまーす
スタッフに呼ばれた仮面の男は大きな呼吸を一つ吐くと、
光沢の艶を帯びた黒いベルベット素材のジャケットを羽織り
しっかりとした足取りでステージ袖へと向かった。

2008年 3月 9日――日本武道館。

新年を迎えて間もなくして始まった全国ホールツアーも今日で無事に千秋楽を迎える。
全国各地の会場はもちろん、本日のコンサートも1万3千枚のチケットは発売と同時に即完売。
予想以上の盛況ぶりに追加公演の話まで出る程だ。
そうなると当然のように、今回のコンサート映像をDVDとして発売する事が決まった。
その為、この会場の至る場所に多くのカメラが設置されている。
しかし、僕はその事をブラックバードに知らせていなかった。
それは変にカメラを意識して緊張させない為だ――
まぁ、ブラックバードに限って緊張なんて無縁の長物だろうが、念の為―
大丈夫。いつも通りのパフォーマンスを魅せれば何の問題もない。
寧ろ、ステージに立たない僕の方が緊張して指先と膝がが軽く震えてきた。
ツアーTシャツを着たスタッフたちがペンライトで床面を照らしながら、
ブラックバードを薄暗いステージの袖まで誘導すると、そこには既にバンドのサポートメンバーたちが集結していた。
「いよいよ最終日だな。明日の事なんて考えなくていい。全力でいこうぜ!」
そう言いながらドラム担当のユーヘイが笑顔でブラックバードと軽く握手を交わすと他のメンバーを連れて一足先にステージへと向かった。
ドラム、ギター、ベース、キーボード…
バンド・メンバーがステージに現れる度に客席から大きな拍手と歓声が飛び交う。
メンバーが客席に手を振りながら所定位置に着き、チューニングやセットポジションの最終チェックをする為に軽く楽器を鳴らす。
そんな他愛も無い雑音でさえも観客たちからすれば極上の食材となり、
興奮を抑え切れない感情を爆発させるように会場中から再び大きな拍手と歓声が沸き起こる。
そしてビートルズの『ブラックバード』が終わりに近づくにつれて観客の拍手は次第に手拍子へと変化し、今から登場する主役を迎える準備を整えた。
ステージ上に設置されている大きなモニター画面の映像が沈みゆく夕陽から次第に夜の帳が落ち始め、赤い空が紫色へと変色する。
そんな上空から徐々に鳥をモチーフにしたブラックバードのエンブレムが浮き上がると本日一番の拍手が湧き起こる。
ビートルズの『ブラックバード』が終わり、一瞬の静寂が流れた。

そのタイミングでブラックバードがゆっくりステージに現れる。

全身真っ黒な衣装を纏ったブラックバードの姿を肉眼で確認した観客たちから、盛大な拍手と鼓膜が破れそうな程の悲鳴にも似た歓声が沸き立つ。
そんな歓声を聞いた僕の全身から鳥肌が立つ。
日常生活では奇妙に映る黒い仮面だが、ステージ上に立った途端に神々しく輝く。
この瞬間がとても好きだ。
鳴り止まない歓声に応えるようにブラックバードは両手を大きく広げながら優雅にステージの中央に置かれたスタンドマイクにゆっくりと到着すると、
マイクの角度を調節しながら一頻りに会場を見渡して何度か大きく頷く。
そして天井の一番高い場所に掲げられている国旗に向かい敬礼をすると、それを合図にバンド・メンバーたちが各々の楽器を構える。
会場のざわつきが治まらない中、マイクを手に取ったブラックバードは開口一番「会いたかったぜ、東京!」と
高らかに叫ぶと同時にステージを照らしていたライトが真っ赤に染める。
ブラックバードの黒い仮面がより一層妖艶で不気味に際立つと”飛ぶ”準備は全て整った。
そのタイミングでご機嫌なピアノ・ロールが会場中に響くと
その音色に触発されたドラムとベースも威勢の好い激しいロック調のメロディーラインを刻み出す。
共鳴し合った音たちが血飛沫のように飛び散ると、悪い呪文に罹った会場は興奮の坩堝へと巻き込まれる。
危険な快楽はグラムロックと化し観客たちは一心不乱に首を振る始める――

例えば明日、君が死ぬとしたら  今日のうちに何がしたい?
生きた証を残そうか  生きる術を見つけようか

拡声器を通したような粗い声質をしたエフェクトで歌い出すブラックバードの姿を赤と青のライトが交互に照らし出す。

例え命が散っても思い出は消えない  例え世界が散っても魂は消えない
だけど忘れるのが人間だから  その時に忘却心中しようか

AメロからBメロに移行するタイミングで、ブラックバードの声質は通常のエフェクトに戻り、
それに合わせて照明もステージ全体を明るく照らし出し、ブラックバードは右手を掲げて観客を煽る。
そんなブラックバードの姿を何度も近くで見ているはずなのに、未だに僕の全身は鳥肌が立ちっぱなしだ。
そんな僕に構う事なくブラックバードは観客に一礼して一拍空けた所でサビに突入する。

あの歴史はもう忘れた人の方が多い  勝った者が正義になってた時代の話
僕が死んだら何日で皆忘れるだろう  辿り着く答えなんてきっと無いのだろう

気持ちよく歌っていたブラックバードはマイクスタンドを持ち上げて、観客席に向かけ、更に煽るように手招きをする。
それに合わせて大海原のように蠢く観客たちも必死に手を振り返す。

『覚えてます。覚えてます』

ブラックバードに誘われた観客たちがマイクに向かい大きな歌声を届けると、
ライブ特有のグルーブ感と観客の手拍子と計算された照明が一体となり、
まるで音楽が具現化されたように興奮という名の魔物が覆い尽くす。
観客たちはそんな魔物を崇拝するように異様な一体感を生みだすと、
これが非日常的なエンターテイメントだという幻想すら忘れさせていた。
観客たちの大合唱に満足そうに大きく頷いたブラックバードは再びマイクを握り直す。

あなたの手の温もりを・・・

強さの中に秘めた優しさ。
そんな声色で歌い上げると、観客に向かい深くお辞儀をしたのも束の間、
間奏に突入して青いレスポールのギターソロ・パートが始まる。
空かさずブラックバードはマイクスタンドからマイクだけを外して、そのままステージの隅まで走り出す。
そんなブラックバードの姿を急いでスポットライトが後を追い駆けると、前方側の観客席から歓声が起こる。
ステージの隅は観客席との距離が最も近い設計になっている為、必死に手を伸ばしてくる観客たちに対してブラックバードも必死に手を伸ばして応える。
間奏が終わりを迎えると同時にマイクを握り直し、ステージの中央に戻りながら再び歌い出す。

例えば昨日、あの人が死んで  今日の君に何を与える?
それが答えなのかもしれない   それが人間なのかもしれない

例え君が泣いても世界は変わらない   例え自我を殺しても僕は変われない
感情の性感帯を切り裂いて  その時に忘却心中しましょう

あの事件ももう忘れた人の方が多い   幼い頃学んだ常識は壊されて
明日が死んでも何人の人が気付くだろう   それは知らない方が幸せなのかも…

ありがとう。ありがとう。   わたしの血の温もりと…
覚えてます。憶えてます。   あなたの手の温もりを…

名残惜しそうに奏でるピアノの旋律が静かに去って行くと、その余韻に浸る会場も静寂に包まれる。
それから数秒、我に返った観客は思い出したように大きな拍手と喝采を起こすと再び会場は熱狂に包まれた。

このデビュー曲である『忘却心中』はアニメ映画の主題歌に使用された事も手伝い、CDの売り上げは25万枚の売り上げを記録すると
名実ともにブラックバードの代表曲となった。
また奇抜な仮面という容姿も相まってかデビュー当時から一定のファンを獲得する事にも成功した。
そんな記念すべき大切な曲をコンサートの冒頭から聴かされた観客の耳は完全に犯されるが、
そんな観客に追い打ちをかけるように休む間を与えず次の曲が始まる――

2章へ続く。


 

この物語に使用した楽曲です。

(MEIKO)忘却心中(オリジナル曲) – YouTube

実世界ではボーカロイド・ユニット0-9(オーナイン)のオリジナル楽曲となります。

知らない方は一度視聴してから読んで頂けると、よりイメージが掴みやすくなると思います。

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